なんでこうなったんですか?

いや、なんか目からでてるし!
この配色(あおくてあかい)はもしや!とおもって、3Dメガネ(むかしスパイキッズ3Dかったときについてた)をひっぱりだして装着、はいけんしてみたのですが、べつだん飛び出したりはしなかったです。ちぇ、みたかったなあ飛び出すハゲのひと。
あと、ビリたんはともかく、ギターのひとのむりやりな衣装をどうにかしてあげるといいとおもった。
ああ、はつばいまであといっしゅうかん。
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同居している老人(大叔母)が入院して数日。
さんざん輸血やらいろいろな処置やらしてもらい、それなりにげんきにはなっているのだけれどどうも回復のメドはたたないらしい。
きょうはおやすみだったので、路子のかわりにずっと病院で付き添いをしており。きょうも午後からまたいろいろと処置をおこなわなければならずそれを老人にせつめいする。それはわかくてけんこうなわれわれでもやりたくないなあ、とおもうようなキッツい処置で、いきたくないと駄々をこねる老人を「これで元気になれるからね」となだめながら、とてもかなしいきぶんになる。
元気になってほしいのだ。ほんとうに。それで元気になれるならなんでもしてあげてほしいのだ。でも、むかしに比べるとずいぶんとちいさく、しおしおになってしまった大叔母が、痛い痛いと我慢しながらむりやりに生き続けるのをみているのはあまりにつらい。
そんなふうになっているのはもちろんうちだけに限ったことではなく、他のおうちも一緒。数日の付き添いの間に、路子(聞き上手)がやたら周りの病室のひとたちの病状を仕入れており、お隣のおへやのおばあさんはこうこうで、お向かいのおじいさんはこんなで、とおしえてくれるのだけれど、どこのおうちの老人も大叔母同様エラいことになっておられるらしい。そんなはなしをきいているとますます、それってどうなのかしら?というきぶんに拍車がかかるのだけれど、本人もまわりのひとも、きっとそうするしかないのだ。
いきていてほしいとおもうのです。それは心から。でも、どうせお別れになるのなら、できるだけ悲しい思い出はのこしたくない。だから、とおもうのはやっぱりダメなことなのかしら。
かんがえればかんがえるほどむずかしい。そしてとてもかなしくなるのです。