集まりがあって、またちゅうがくのころの同級生たちにあってきました。
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ちょうど12年前のいまごろのこと。中学の同級生がしんでしまったのです。いぜんにも書きましたが俺はものすごく田舎の小さな学校に通っていたので、中学の同級生イコール保育園からずっといっしょ。それはそれはよくしっているこでした。おとなしくて物腰の良いとてもいい子でした。はずかしがりやですぐに顔が真っ赤になってしまう素直な子でした。きほん性格のまちがっている俺はいつも彼をからかっては困らせていましたが、それでも怒ったりしないとてもやさしい子でした。
亡くなる前の年、受験にしっぱいしてしまったせいで、精神的に不安定になっているらしい、と噂ではきいていました。高校を卒業してからしばらくは、同級生であつまって遊んだりしていたのですが、もともと彼はみんなの集まりにもあまり顔をだすほうではなかったので、ほとんどあうことはなく。みんなでときどき話題にしては元気なのかなあと心配していたのですが、音沙汰をほとんどきかないまま、春になり。新聞の合格発表の記事に名前が載っているのを見つけて「ああ、よかったねえ」と安心していたそんな矢先のことでした。
自殺でした。いまでも電話をうけたときのことを覚えています。事情がのみこめないまま、とりあえず今日の晩がお通夜だからあつまって!といわれてバイト先からとんで帰ったのです。外は温かい風がふいていて、ずいぶんとそわそわした気分になりました。とてもおちつきませんでした。かなしいとか思うまえにわけがわからなかったのです。いちねんべんきょうして、試験にも受かって。いったいなぜなのだと。
俺だけじゃなく、クラスのみんながそうでした。わけがわからないまま、お葬式で泣きました。見つからないりゆうはそのまま心にひっかかり、とけないままでいます。たぶんみんな。
先日の同窓会の席で、ことしは13回忌になるから、あつまってお墓参りにいきましょうということになり、みんなで彼のお家にお邪魔をしてきました。おひさしぶりです!わたしはけっこんしました!ぼくはこどもができました!と、亡くなった息子と同い年の子たちが大勢やってくるのは、正直ご両親にとってはおつらかったのではないかとおもうのです。けれど嫌な顔ひとつせずに迎えていただいて、なんだかとても切なくなりました。お家に上げていただいて、じゅんばんにお線香をあげて、お茶とお菓子を頂いて。いい歳をした大人になったというのにあつまってくだらない話をして。それでもご両親は迷惑なかおひとつなさらず、うれしそうにわれわれの話に耳を傾けておられて。どうにも申し訳ない気分になったのですが、とてもうれしかった。
なんで彼はしんでしまったのか。見つからないりゆうはきっとこの先もとけないまま、ぼくらはどんどん歳をとるのだろうけれど、こうやっておとうさんとおかあさんが迎えてくださる限りは、こうしてあつまってくだらない話をし、すこしだけむかしを思い出すことができるのでしょうね。それはとてもとてもありがたいことだなあとおもう。
帰り際、見送ってくださったご両親にご挨拶しながら、どうかずっとおげんきでいてほしいなあとおもいました。でもって俺じしんこのさきがんばっていきていかなくちゃ、とおもった。こうかいてしまうとなんだかとても安っぽくなるのだけれど、いままでのことをぐるぐると思い出しながら、とても真剣にそうおもったのです。もっと頑張ろう、いきるよ!俺、と心に決めて、すこしだけ、かなしくなって泣いた。